日時 4月8日~10日(2泊3日)
コース 東北中部横断
参加者 喜連 栗又 下村 宮部
今回は平成19年以来5回目のクラス旅行。従来の関西から東日本大震災後6年経過した石巻の復興視察を主眼に東北にした。参加者は常連小野・服部組の海外旅行により4名に減少。
1日目は石巻市内。日和山公園から市内全景を鳥瞰後、復興整備完了後の旧中心市街の低地住宅地(4千世帯=高台に集団移転)跡や、完全復興した石巻漁港と水産物卸市場などを見学。鳴子温泉の老舗ゆさや旅館に宿泊。肌に良いうなぎ湯など3種の温泉と山菜料理・鴨ロース・すっぽん鍋など多彩な郷土料理を満喫した。
2日目、芭蕉が、「蚤虱、馬の尿(しと)する枕もと」と詠んだ「尿前(しとまえ)の関」や落差100mのV字断崖が続く鳴子峡等を見た後、雨の最上川の舟下りへ。水嵩を増した雨の最上川は豪快・勇壮そのものだが、平穏な屋形船内で聴く超美人船頭の唄う最上川舟歌がとても優しい(フランス語などのものもある)。また、船内の豪華大エビ弁当が絶品。
午後は雪で白く輝く雄大な鳥海山を気動車から遥拝しつつ雨上がりの酒田へ。
現在の酒田街は、袖の浦地区に移住した奥州藤原氏の家臣36人が1521年頃構築した。酒田は中世貿易の中継地。1672年河村瑞賢の西廻り航路の整備後、廻船問屋の鐙屋(あぶみや)や、戦後農地改革時日本一の地主の本間家など豪商の活躍で「西の堺に匹敵する」ほどに繁栄した。見学は本間美術館、本間旧本邸、旧鐙屋(あぶみや)、米蔵「山居倉庫」、舞妓茶屋「相馬楼」など。なお、酒田は、大火(1961年10/29)でほぼ全焼したが、本間旧本邸を除く旧鐙屋(あぶみや)などは、再建されたもの。
3日目、米沢。当地は江戸時代から明治の廃藩置県まで上杉氏の城下町。上杉氏の領地は蒲生氏旧領の米沢と出羽庄内に佐渡を加えた120万石だったが、関ヶ原の戦いで豊臣方の上杉景勝が出羽米沢30万石へ減移封され江戸時代の米沢藩が成立。移封時、越後時代から付き従ってきた譜代家臣、並びに武田家等旧臣の解雇を極力抑え、6000人の家臣団を維持した。そのため、当藩は江戸時代初期から厳しい財政難にあった。第8代の重定時代、米沢藩の財政は危機的状況に陥った。
第9代藩主の治憲(鷹山)は明和4年(1767年)家督継承時の米沢藩藩政は極端な財政難と政治腐敗で破綻寸前状態。そこで鷹山は、藩政と財政の再建を目指す大倹令を発布。他にも殖産興業政策などの改革を行ったので、鷹山時代に米沢藩の財政は回復した。また天明の大飢饉(1782-88)などで改革が停滞したので、鷹山は天明5年(1785年)に隠居後も、後見を望んだ第10代治広と第11代藩主の斉定に代わり、鷹山の改革が続行された。借財返済の延期懇請と財政支出の大幅緊縮を行ったが、財政の再悪化のため鷹山は寛政期 (1789‐1801)に、身分差別無き大量人材登用や新財政再建計画などの更なる改革を行い、滅亡寸前だった米沢藩を再建した。上杉鷹山は、文政5年(1822年)3月に死去した。
見学地は、上杉家13代の廟所、上杉謙信を祀る上杉神社、上杉伯爵邸、地酒東光の酒蔵など。特筆すべきは、郷土料理の上杉伯爵邸の豪華な昼食。上杉32代当主那憲氏は、宇宙航空学者で東京の郊外に在住とのこと。
今回も緻密な宮部君の企画によった東北旅行は、短時間だが内容深く記念すべきものとなった。
東北旅行?と思われる方々に。東京-仙台1.5時間、米沢-東京が2時間の山形新幹線のお蔭で比較的短時間に広範囲の旅行を楽しむことができたことをお伝えしたい。
(宮部・下村記)