38年入学会の皆様。明けましておめでとうございます。

良いお年をお迎えになられたこととお慶び申し上げます。

「向上の一路、千聖共に行く」という禅語があります。草木国土悉皆成仏の宗旨に照らせば、千聖とは我々衆生を指し、その我々が精進を重ねることにより新しい日日を創造していくという意味でしょう。

武家の世であればとっくに引退した筈の七十路を迎えた我々38年入学組が、年何回かの会合を重ね日頃の個人の活躍を互いに披露し合う時、この禅語をいつも心に浮かべます。

趣味の事。政治の事。家族の事。病気の事。特に熱心に語られるのは自分の墓の事。

怒らぬと肝に銘じて初硯   浪雅

しかし、この七十路がもたらす変化に我ながら驚かされているのも事実。

先ず痛感するのは「怒りっぽくなったなあ」という心の嘆きです。「怒りは徳を損ねる」と知りつつ、抑制が効かない体験を何度も繰り返す。車中で若者の無頼な言動に接した時。喫茶店でウエイターのつっけんどんなサービスを受けた時。二国間で合意した事柄を平気で覆そうとする隣国の動きなどなど。特に酒を酌んだ時が顕著のようですね。

しかし、これは怒りの負の面。世を変える、悪い局面を切り開く、大事を成す、などの多くの局面で、そのエネルギーの源泉のひとつに挙げられるのが「怒り」でしょう。

例えば、明治維新の推進役となった長州藩。その力の源泉は関ケ原以来の徳川への怒りにあったことは、歴史の事実でしょう。

岡本太郎の叫び「芸術は爆発だ」のこの「爆発」、これこそ「怒り」に他ならない。そう思います。そう考えると、体力も知力も落ちた老人が、エネルギーの拠り所のひとつとして怒りを持つのは、生活の知恵かもしれません。

先日テレビで観て知ったのですが、至近距離に置かれたふたつのグループは、必ず闘争を始めるという。そして闘争による結果の破壊を修復する段になると、今度は一転して協力し始めるという。いわば「雨降って地固まる」の謂いですね。

ましてや同じ釜の飯を食ってきた我々38年入学会。大いに例会などに参加し、大いに意見を闘わせ、そして大いに旨い酒を飲もうと皆様へ改めてご提案致します。

今年度は、我々38年入学組が入学55年を迎えます。12月1日には如水会館にて記念式典祝賀会が開催されます。皆さんの大勢の参加をご期待申し上げます。

平成30年 元旦

世話人代表 柏田洋征