日時: 平成27年12月5日(土)11時~14時30分
場所: スクワール麹町

国内外から109名(内、1名は夫人)の仲間が集い、前回の入学50周年記念大会から2年振りに学年会を開催。 70歳を超え、体の負担も考えて昼間の開催となった。
クラス幹事は開始1時間前に集合。 机上のネームプレートや出席者へ手交する資料の整理で一所懸命。

本日の大会を祝うような青空の下、定刻が近づくにつれて続々と仲間が集合し十一時十五分、記念大会をスタート。 冒頭、司会の尾崎君より前大会から他界した物故者11名の氏名が読み上げられ、一同黙祷を捧げて第1部を開催。

小杉代表世話人より、現世話人はこの12月末を以て4年間の任期を終えるが我われ同期の松本前如水会理事長のリーダーシップと仲間の強い母校愛に支えられ、一橋大学基金募集活動実績では我が年級は圧倒的な存在感を示すことが出来たと感謝の言葉があった。 また在任期間中、同期会の運営基準の改正に触れ、まず同期会の名称を如水会規則の改正を機にそれまでの昭和42年卒業同期会から現在の入学年に改めたこと、クラス幹事と世話人との年2回の合同定例会開催を通じて会の活性化と意思疎通の強化に努めたこと、その他各種の会合開催頻度を環境変化に合わせて見直すと共に、世話人任期の改正を図ったこと、等に触れて総括を行い、次期代表世話人に就任する柏田君をはじめ新世話人を紹介して挨拶を締め括った。

本日第一部のメインは㈱ミスミグループのトップであり、母校の客員教授でもある三枝匡君の講演。 演題は、卒業間もなく米国ボストン・コンサルタント社に入社し、爾来日本の数々の会社の社長を歴任した同君の経歴をもじって、『外れ者だった人生と経営戦略の話』。 平素の学生相手の講義と違って同期相手ではやり辛いとこぼしていたのも何のその、豊富な経験を基に日米の経営スタイルの歩みを振り返り、日本が高度成長期に米国の経営者の心肝を寒からしめた現場の知恵から生まれた経営手法をより普遍化、抽象化することに失敗したためその後の経済発展で米国の後塵を拝するに至ってしまった、と指摘する。

そして今我が国に求められるのは真の経営者の育成であると看破し、「苦しい思いをしたことは多かった。 でもいい人生だった」との言葉で名講義を終えた。これまでの人生を人の何倍ものエネルギーで生き抜いてきた同君だけに演題は″並外れた人生の方が良かったのでは?〟との声も。 久し振りに聞く格調高い講演の余韻がまだ冷めやらぬ中、会場を隣に移して忘年会を兼ねた第2部の懇親会に移行。 乾杯の挨拶は多忙な中、出席頂いた岡田如水会事務局長。

昼食を兼ねての懇親会ゆえ、酔いが廻るのも早く会場の中は久し振りに会う仲間との会話や笑い声で大賑わい。 ほどなく会場に月崎君が奏でる三味線の音が流れる。 さすが師範の腕前を持つ同君の小唄・端唱で会の雰囲気はいやが上にも盛り上がる。 一橋大学植樹会副会長の西村君から入会勧奨の挨拶があり、その後は複数クラス毎に分かれて記念写真の撮影。 前回大会から僅か2年のことながら心なしかひな壇に並ぶ仲間の頭の白い霜が多くなったように思えるのも気のせいか。 お腹も膨れ、そろそろ終わりの時間も近づいて来た。

恒例により、元コールメルクールのメンバーによる「一橋の歌」を斉唱。 元ボート部メンバーの「一橋会会歌」長煙遠くでは全員で肩を組み、しばし学生時代に戻ったかのようなタイム・スリップを味わった。 中締めの挨拶は大阪から参加の浜石君から。 同君の元気溢れる万歳三唱で無事記念大会を締めくくることが出来た。 次回は新世話人会のもとで2年先の卒業50周年の開催となるのか、3年先の入学55周年となるのか未定であるがいずれにしても卒業以来半世紀目となる時期の開催となるのは間違いない。 次回は大勢の参加者を得て盛大な記念大会になることを願い、次の再会を楽しみにしつつ三々五々会場を後にしてクラス毎に開催の2次会会場へと向かった。

(小杉記)

代表世話人挨拶

代表世話人挨拶

外れ者だった人生と 経営戦略の話

外れ者だった人生と経営戦略の話

唄と三味線演奏

唄と三味線演奏

次期世話人の挨拶

次期世話人の挨拶

肩を組んでの "一橋会々歌"の斉唱

肩を組んでの”一橋会々歌”の斉唱

中締め

中締め